説明無き農政転換
- 信彦 首藤
- 11月1日
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石破政権において農政素人の小泉進次郎農相が登場したときは驚くというより、米価急騰への対処療法として人気政治家を当てる選挙対策だろうと世間的には冷ややかな評価があったが、それでも石破政権の地方重視政策との一貫性もあり、コメ増産に舵を切った農政への期待も生まれた。
ところが、高市政権が誕生すると、農水省官僚出身の鈴木憲和氏が大臣になり、突然、米価維持や減産政策を打ち出してきた。さらに高値水準が続く販売価格への批判は、市場が決定するものだと突っぱね、貧困層や子ども食堂など米価高騰に苦しむ対象には「お米券」を配布するなどの発言を脈絡もなくメディアで流した。
いちおう元農水省官僚だから、基本的な農政の知識があることを前提にして、マスコミからの批判は限定的だが、言っていることは物価高騰対策を重点政策とする高市政権の基本政策のちゃぶ台返しに他ならない。
物の価格が市場によって決まる。。というのは一般論としてはその通りだが、コメの価格は市場均衡どころか、農政・輸入政策・流通管理・農協の存在などおよそ市場原理とかけ離れた存在で、とても「市場が決める」と農水省が開き直ることはできないはずだ。
今問われているのは、コメの価格などではなく、コメの生産ですらなく、農政そのものの構造的改革なのだ。コメは「瑞穂の国」日本のシンボルかもしれないが、各地グルメのうどん・蕎麦すなわち原料としての小麦は多くは輸入に依存している。以前において日本は麦秋の季語があるように、コメと並んで麦の生産が盛んだった。山林は管理され、山間地での居住そして多くの雇用も生み出していた。昨今の熊被害も荒れる山間地と無関係ではない。
このような背水の陣状態に置かれた農政において、コメの増産から減産そして古米の配布など、基本的で構造的な変革を放置して、目先のテーマと口先だけの政策対応を脈絡もなく流し続けるなら、高市政権の生存も危ういと言わざるを得ない。




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