222国会高市総理の所信演説にオブジェクション
222国会がスタートした。冒頭から一部閣僚の品格や不用意発言が報じられるなど、波乱含みの国会だが、冒頭、高市総理の所信演説があった。各省庁が出してきたテーマを美文麗句で飾った、まったく実態も内容ない所信演説だった。それでも心底から政治推進への覚悟を表明すればそれなりの価値は生まれたのだろうが、実際はジェスチャーと品作りでかえってその虚無感が画面に広がった。
一つ大きな問題を指摘したい。総理は経済の語源「経世済民」を世をおさめ民をすくう。。と何度も繰り返し、経済こそが私がやること。。と言いたげだが、そこには政治哲学そして政策哲学上大きな問題がある。
「経世済民」は中国は隋の儒学者王道と弟子の問答である「文中子」に典拠があるとされるが、要するに王、聖人がいかに無知蒙昧の民を救うかという話である。こんな乱世、春秋の世の中で、王の権威も正義の概念もないような政府と政治家がどうして民を救えるか?
一方、英語のeconomyは古代ギリシアのオイコノミー(OIKONOMIE)すなわち家と家計の管理を意味する。長期デフレで低迷し、円安そして物価高に苦しむ民が、いまこそ家庭を活気つけ、新しい価値を生み出し、そして家庭の集合体であるコミュニティを元気にさせる方策こそ、今の日本に求められている政治哲学、政策哲学なのだ。
だから本当は、高市総理はまさに日本人の家庭のひとりひとりに呼び掛けて、この沈滞腐敗の日本から共に立ち上がろうと呼びかけるべきだったのだ。
まったくピントのはすれた所信をのべる総理に日本を救うことなぞできるはずがない。





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